大先生に話す前、どうしようもなく心が詰まってしまったとき、 私は別の人にぽろっと話したことがある。
話を聞いたその人は、
「ああ、そうだったんだ。それは大変だったね」
「じゃあ、俺が元気づけてあげる」 など言ってくれたり
わざと面白い話をして笑わせようとしてくれたりもした。
相手は元気づけようとしてくれている。
頭ではわかっているのにーーー私の心が、笑いに全然おいつかない。
そして思ってしまった。
――正直、なんかウザい(笑)
なんか違う。
私が求めていた寄り添い方じゃない。
話す相手を間違えたな…って、
そのときふっと思ってしまった。
弱さを預ける相手を間違えると、最後にダメージを食らうのは自分。その瞬間から、私はますます誰にも話せなくなった。
言ってもいい人が分からない。
そんな私が―― 「大先生になら、話してもいいかもしれない」 そう思った。
私が大先生に事情を話した時
一番驚いたのは、大先生の受け止め方だった。
大先生は、私の話を最後まで静かに聞いたあと、根掘り葉掘り聞くことをせずただーーー
「人生ってさ、つらいよね」
「生きてるって、本当に大変だよね」
「人生ってさ、気づけばいつの間にか、
失ったり、背負ったり、迷ったりしながら、
今日を生きてるんだよね」 などと自分の経験や、考えてきたことを語り続けてくれた。
その時間が、私には何よりありがたかった。
大先生が語り続けてくれる――その行為そのものが、
頭の中でぐるぐるして止まらなかった雑念を、そっと静めてくれた。
正直に言えば、全部の言葉に完璧に集中できていたわけじゃない。
それでも、あのときの私は、
大先生の話に意識を向けられている時間そのもの が救いだった。
胸の奥でずっと重く沈んでいた気持ちが、
チャットが終わったとき、
心が驚くほど軽くなっていたーーー
そして次回は――
落ち込んでいた私が、新しい希望として選んだもの。
それが、株との出会いでした。
その始まりの物語をお話しします。


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